ライターの仕事は名前が出ない&自分がやったと告知できないものも多いですが、署名記事もあったり
▼雑誌
AERAムック 駿台予備校 講師インタビューなど
AERAムック 京都橘大学 教員インタビューなど
▼WEB
サイエンス系お役立ちメディア「M-hub」 毎月更新されます!
そしてブックライターという仕事にも挑戦し、本が完成しました。ひと昔前までは「ゴーストライター」と呼ばれていた著者の代わりに本を書く仕事ですが、最近は「ゴースト」ではなく、ちゃんと制作メンバーとして名前が載ったりプロフィールが載ったりするのでした。
『ブレインフィットネスバイブル 脳が冴え続ける最強メソッド』(?山雅行・ 杉浦理砂 著、幻冬舎)
税抜1500円。5/10発売です。
脳を休めることで本来の力を取り戻すブレインフィットネスジムを立ち上げた?山社長のコンセプトと、脳科学者の杉浦先生が膨大な研究データから導き出したメソッドを、専門外の人にもわかりやすく伝えられるように頑張って書きました。大学院で勉強したことと比較的近い分野だったので、自分のやってきたことを生かせてうれしかったです。
『逃げられると思うなよ〜愛されすぎて息もできない』(恋愛ショコラ)
大きな会社の受付嬢をしているすみれは実は新人官能小説家。デビュー作は書けたけど、2作目を書きあぐねている。そんなとき、同じ会社のハイスペック男子になぜか猛烈に求愛されて……というラブコメ(エロあり)です。
『初恋エゴイズム〜眠れる准教授の偏屈な純情〜』(ヴァニラ文庫うふ)
作・寒竹泉美
絵・知坂たいめ
文学フリマ京都
日時:2017年1月22日(日)11:00〜16:00
会場:みやこめっせ
詳細は、文学フリマ公式サイトでご確認ください。
せっかく住んでいるところでやるのだから、何か作って出展しようかと考えてたのですが、そんな余裕全然なかった…。出展しなくてよかった。その代わりと言ってはなんですが、昨年9月の文学フリマ大阪でも出展した「関西作家志望集う会」のお手伝いでちょろちょろしています。文庫サイズのかわいい冊子の最新号には、寒竹の寄稿した短編も載っています。おっさんが主人公です。わたしはともかく、小林泰三さんの短編も載っているので、お買い得だと思います。
これは9月のときの写真。今回もきっとこんな感じでしょう。値段は定価にもどるかも?
ブース番号は きー06 です。寒竹は朝から13時くらいブースにいる予定ですが、ちょろちょろしているかもしれない。事前に来る時間を予告してもらうか、ブースにいるお友達に「寒竹を呼べ」と言ってください。
文フリは趣味のグループもあれば大学のサークルもあり、個人もいるし、プロ作家もいる。遠くから来られる方もいるし、ジャンルもいろいろ。入場無料なので、眺めて回るのも面白いかもしれません。
ではでは会場でお会いしましょう。
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「遠い日の夢〜顔役猫のダンナ 番外編」入来和彦(こびと書房)
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作品解説を書きました。作者あとがきの後にそっと添えた小さなエッセイです。
「顔を無くした街」
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]]>実は、人生初の演劇です。漫画「ガラスの仮面」の大ファンで、演劇に憧れておりました。でも脚本ならともかく、自分が舞台に立つのは無理だって思い続けていた。だって、大きな声が出ないし。
それなのに、なぜか朗読劇をやることになり、何度か公演しちゃったりして、「声コンプレックス」はある程度克服されて、今回ご縁があって誘われて、それが自分が脚本を起こした作品で、スタンスに共感できる主宰の方だったので、えいやっと飛びこんでしまいました。
何事も、こんなふうに始まっていくのだなあ。
毎週土日のどちらかは1日稽古をしています。
太宰治「斜陽」を原作にし、わたしが朗読劇に仕上げて公演したのが2年前。その脚本をもとにさらにエピソードや登場人物を加え、主宰の平本さんとの共同執筆で演劇の脚本になりました。
やっぱ生身の人間が動き回ると楽しいですねえ。他人事じゃないけど。わたし、朗読劇のときと同じ役「かず子」演ります。原作の主人公です。
人生で最初で最後の演劇だと思ってますので、見にきてやってください。そして太宰の作品世界に想いを馳せてもらえたら何より幸せです。
10日後になりましたが、8月20-21日に大阪で講座をします。
前のブログで紹介した「バカンスの魔法」と同じレーベル「ヴァニラ文庫うふ」(ハーパーコリンズ)さんから、オリジナル長編作品がリリースされました。実は絵も「バカンスの魔法」と同じ三國マコさんです。もう三國さんの描く男性の甘々な表情がたまらない。
7月21日に発売されましたが、もう読んでくれた人とか感想くれた人もいて、まだ10日しか経っていないなんて信じられないです。原稿用紙換算で250枚くらいで、デビュー作「月野さんのギター」と同じボリュームなのですが、ヴァニラ文庫さんではこれは「短編」に属すらしく、お値段も324円(税込)とお手頃! お買い得!
ここでの告知が遅くなりましたが、跳訳担当した作品が2016年6月12日に電子書籍で発売になりました。韓国で人気ナンバー1のティーンズラブ小説家ショコラさんの作品を心をこめて訳しました。
跳訳作品としては2作目なのだけど、わたしからは出てこない大胆なストーリーと、わたしの文章とキャラ造形の組み合わせが味わえて、これはこれで、わたし一人で書いたのとは違う面白さがあるんじゃないかと思います。跳訳のほうが好きという人が出てくるかも。跳訳1作目の「魔王に愛されて」のレビューを見てると、結構嬉しいことが書いてあった。ちょくちょく読まれているみたい。
わたしの小説が合う人なら絶対に楽しんでもらえると思います!
自分では思いつかないような展開や登場人物に手を引っ張られて、今までにないものが書けた。原稿用紙換算枚数で350ページ書いたのも初めての経験。とっても勉強になるお仕事でした。ありがたし。しかも久しぶりの紙の本の発行でとても嬉しい。
本屋さんでは文庫の棚で、ロマンス小説とか海外小説のコーナーにあると思います。大きな本屋さんなら買えるはず。
文庫の本を出すのは憧れでした。買う人も買いやすい。でもふつう、文庫って単行本(ふつうの大きな高いハードカバーの本)が売れた人しか出せないから、いつかは…と思ってたんだけど、ちょっと変則的な形でするりと夢がかなってうれしかったです。
表紙も可愛い。生みの親じゃないけど、育ての親。
Amazonのリンクはこちら
楽天ブックスのリンクはこちら
寒竹泉美史上最大に甘いラブコメディです。また感想頂けると嬉しいです。
いろんな人に助けられながら、コツコツ活動しています。日々感謝です。
キャストとスタッフ
公演の様子(ビデオキャプチャー画像)
自分が劇を主宰して脚本書いて演出して主役を演じて…なんてことをやっちゃったなんて、何だか未だに信じられないです。本当にわたし、やっちゃったのかしら? 何が一番信じられないかって、一緒にやってくれる仲間がいて、見にきてくれる人たちがいることだ。わたし、こんなに幸せでいいのかな。きっとわたしは前世でよっぽど素晴らしいことをしたに違いない。
おまけ(メイキング)
控室が教室。みんなはしゃぎすぎ。衣装がはまるはまる。元小学校の中にある映画館、立誠シネマでしかできない公演が出来たと思う。
キャストの公演後の感想的な日記
樹リューリ(上原さん役)
柳元麻見(ママ役)
わたしの日記はこのへん? まだ語り足りないので、アメブロで気が向いたらぼちぼちと。
公演が終わったときと、長編を書き終えたときは似ている。ずっと長い間自分の中にいて一体化していた登場人物が、出ていった感じ。寝ても覚めてもその人のことを考えていたのに、もうその登場人物について考えなくてよい。柳元さんはそれを死んだと表現しているけれど、わたしは産み落としたという気がしている。わたしから切り離されて、一人前の人格を持って生き始める。どこで生きるかというと、それは見てくれた人、読んでくれた人の心の中で。
空っぽになった子宮がふたたび孕むのを待って、わたしはまた物語を育て始める。
太宰の「斜陽」とは少し違うかず子が産まれた。演じている間、ものすごく幸せだった。その世界にいられることが。演劇なんてしたことないのに、でも、いつも通りだった。物語に没頭して書いているときと同じだった。それをひとりではなく、たくさんの才ある人たちと一緒に作れて本当に本当に幸せだった。
運命がたまたま交差して一緒にできた幸せをかみしめながら本番の1日を堪能した。たった80人にしか届かない物語。ライブは、儚いから、いとおしい。命みたいだ。
]]>今は使われなくなってもったいないと思う言葉を挙げて、想いをつづるエッセイです。毎回いろんな人が、いろんな言葉について語っていくコーナーです。言葉に対して「もったいない」なんて、あまり普段思ったことがなくて、言われて初めて気づいて、改めて言葉についていろいろ考えました。
わたしが取り上げた言葉は「アンドロイド」でした。
朗読ライブでバタバタしてて、ここでの報告が遅くなりましたが、もしまだ家に新聞があれば、ぜひチェックしてください。全国版に載っています。
]]>パソコン、アンドロイドの人はここから見れます。パソコンの人は表示が見にくいけれど。
iPhoneの人は専用アプリもあります。こちら。
大前壽生さんに描いてもらったこのアイコンがわたしの書いた記事の目印です。
スタマガは、四月一日企画という会社の企画です。四月一日と書いてわたぬきって読むんですって。ちょっとゆるくてわくわくするいろんな企画を立ち上げている楽しい会社です。
]]>※LINEを知らない人に説明※
LINEというのはメールアプリでして、普通のメールも吹き出しみたいな感じで表示されて楽しく気軽にやりとりできて、さらに、そのメールに「スタンプ」と呼ばれる絵を貼りつけて遊べるんです。その絵がいろいろありまして、いろんな人が創意工夫して描いていて、それがアプリ上で売られているわけなんですよ。何が面白いんかと思われるかもしれないけれども、やってみると意外に面白いんです。おお、そう来たか。じゃあこのスタンプだ。どや!みたいな。
実例見た方が早いですね。こんな感じ。
怪談というテーマで2時間弱。どうやって楽しんでもらおうか、いろいろ考えて構成したのですが、緊張感あふれる部分もゆるい部分も恐い部分も脱力する部分も、全部お客さんが受け止めてくれて一体感のある場ができていた。あらゆる意味で、誰にも真似ができない怪談イベントになったと思う。
会場は築100年以上の古い民家を改装して作ったフォトスタジオ。そのロケーションを生かして、森の中の小さな家にたったひとりで住んでいる女の話を選んだ。
イラストレーターの木村友昭さんには少し抽象的で想像力をかきたてるような絵をお願いした。人間のシルエットはいれないでもらった。
音響さんには森の音をたくさん使ってもらった。
聞いてる人が森の中の一軒家の中にいて、主人公である女の息遣いをすぐ隣で聞いているような、そんなイメージにしたかった。
ソファーにゆったりもたれるような、落ち着いたしゃべり方ではなく、前へ前へ背中を押されて急き立てられるような、そんな読み方を目指した。感情は抑え目。批判的な観察者として強い一定調子の声で「女」の輪郭を作っていった。その代わり文章と音楽は女の心情に寄り添って情緒豊かに悲しく響かせた。
部屋の隅々まで物語が支配しているようなそんな20分だった。みんなが物語に吸いこまれてひとつの生き物になったような感じだった。朗読というのは、一度ついていけなくなったらすぐに置いていかれてしまう。一つの文を理解してクリアしないと次の文が頭に入らない。一文でもつまづくとそこで終わりだ。だから無駄な理解しにくい集中力を欠くような言葉をまぜてはいけない。すべてが物語のための言葉じゃないといけない。
昨日の公演は2回とも、みんなが一緒にいる、という感じがした。わたしが演者で聞いてる人がお客さんという感じじゃなくて、わたしがたまたま懐中電灯を持っているから先頭を進んでいるだけで、みんながすぐ後ろを固めていて、協力しながら一緒に暗闇を切り開きながら歩いているような、そんな感じがした。
TREESの公演のときもちょっと感じたけれど、今回は1人で全部読んだからよけいに感じたのかもしれない。朗読は、演劇以上に観客が能動的にならなくてはいけない。ビジュアルがほとんどない分、自分の頭で想像して再生しないといけないから。不思議な時間だった。このイベントのサブタイトルに「言霊のしらべ」とつけたのだけど、まさにわたしは言霊のしらべを聞いたと思った。
20分張りつめてやったあとは、ゆるっと怪談。怪談なのに、ゆるっとってどういうことよ、って感じですが、まあ来た人だけにやにやしててください。演る前は、こんなにゆるくて大丈夫か、と一緒にやってる人から心配されてたけれど、楽しんでもらえた。でも、これ、朗読が失敗していたら、しらけてただろうな。朗読に没頭してくれて心が開いたまんまになってくれてたから、そこからはすごくやりやすかった。届いてる感じがした。これが物語の力なんだと思った。
photo:Jyari
休憩を挟んで写真物語。わたしがモデルをして撮影したポートレートを並べてスライドショー的な動画にして、それを映しながら物語を朗読していく。テーマが怪談だったのでロケ地は某廃墟(撮影許可をもらって撮りました)。壮絶で美しい写真を見ながらわたしはそこから希望をひろいあげた。
怪談についていろいろ考えた。悲惨で無念な死を遂げた人の霊をモンスターみたいにきゃあきゃあ怖がるのは絶対にやりたくないと思った。通り魔みたいな無差別な怨念の話もしたくなかった。恐いけれど、そういう通り魔は現実の世界だけで十分だ。
怪談にどうアプローチしていくか、ヒントになったものが2つある。
1つ目は四谷怪談だ。四谷怪談のお岩さんの話の全容を知った時、ある意味痛快な思いがした。お岩さんを陥れた男は同情の余地がないくらいの悪党で、生きていたときのお岩さんはなすすべもなくひどい目に合わされて死んでしまったのに、化けて出た彼女は男をあらゆる方法で次々恐怖のどん底に陥れる。きっと今よりももっと、弱いものが、正しいものが、虐げられて死んでしまう時代だっただろう。死んだら終わりではなく、「霊」という無敵なものに復活して復讐を遂げる。そこには希望があると思った。その物語が愛されている理由が分かった。
2つ目は稲川淳二の怪談。DVDを借りて初めて見た。恐いんだけど、恐がらせようとしているんじゃなくて、こんな不思議な話があったんですよ、ということを語っていく。世の中に幽霊はいるのかもしれないなと思わせられる。幽霊がいるというのは恐いことだろうか。幽霊がいる、何かひどいことをしたら祟られる、そういう気持ちがなくなったら、自分以外の他人の命を尊重することがなくなるんじゃないか、そんなことを思った。
幽霊よりも現実世界の人間のほうが怖くて残酷で非道だ。無念な死を遂げた人はたくさんいる。できればそんな話は聞きたくない。でも、生きているうちに残酷な仕打ちを受けて、死んでからも忌まわしがられて忘れられるなんて浮かばれないと思った。残酷さ・悲惨さに向き合おうと思った。そしてその中をくぐりぬけて希望を一粒でも拾って来れるかどうか、それをやりたいと思った。今回の朗読のために子殺しについていろいろ調べた。向き合った。ネグレクト。虐待。日々、たくさんの事件が起きている。昔から今までずっと起き続けている。死んでしまった彼らは生き返らないけれど、彼らを想うことはできる。そこから物語をつむいで希望のかけらがほんの少しでも見えたら、そんな風に思った。
すべての原稿ができあがって一番最後にもうひとつ写真物語をつくった。これは一発で書いて、一度も推敲せず、そのまま自分のなかでOKを出した。そんなことはめずらしい。そのあと何度読んでもやっぱり変えるところがなかった。わたしがこのイベントをやるにあたって、考えたこと全部がつまっている。
ここに全文載せておきたいと思います。
かつてここで誰かが暮らしていた
ここで笑い、ごはんを食べ、生活を営んでいた
その誰かがいなくなってからどれだけ時が経ったのだろう
住む人のいなくなった家は魂の抜けた体のようだ
魂の抜けた体、それはつまり、死体だ。
だけど、ぶよぶよの腐った死体ではない。
乾いた清潔な白骨死体だ。
それは白々と誇り高く光り、静かに少しずつ朽ちていく。
そっとたたずむ骨の死体は肉の死体とは違うものだ。
少し怖いけれど、何だかじっと見てしまうだろう。
そして説明のつかない畏敬の念を抱きながら
その骨がどんな姿をしてどんな生を生きていたのかいろいろ想像してしまう。
白骨死体のすさまじさ みすぼらしさ 美しさ
廃墟に惹かれるのは、それが美しいからだ。
見捨てられたというのに自然に破壊され朽ちていくばかりなのに
誇り高くそこにあり続けるからだ。
恐くてみすぼらしいそれを美しいと思ってしまうことに
わたしは希望を感じる。
なぜなら廃墟は死体だからだ
朽ちた死体を美しいと思うことは命をまるごと肯定することだからだ
廃墟を見ると人は物語をつむがずにはいられない
人々が物語を忘れた時生きることを忘れた時
白い骨を見ればいい
かつて人が住んでいた壮絶な跡地を見ればいい
わたしもいつか命が尽きたその場所でゆっくりと腐敗して風化して
白々とした白骨死体になりたいけれど
文明がそれを許さないだろう
せわしない時の流れがそれを許さないだろう
早々と片づけられて人目に触れぬよう小さな壺に押し込められる
この場所もいつまで残っているだろう
いつまで許されているだろう
みすぼらしいもの、不安を与えるもの、恐いものは
目に触れぬよう、見なくて済むよう、さっさと片づけられてしまう
でも、恐いという感情は自分の命に触れることです
日頃ないがしろにしていた命の泣き声を聞くことです
目の前の忙しさにばかり目を向けていると
あなたの命が飢えて泣き続けていることにも気づかないでしょう
今日少しでも恐いと思ってくださったなら
あなたの命に触れてくださったなら
わたしは嬉しく思います
本日は幽宴にお越しいただき、本当にありがとうございました。
photo:Jyari
]]>写真も感想文も公開OKということだったので掲載させていただきます。なんかもう、わたしがごちゃごちゃ書くより雰囲気が伝わると思います。
<文章講座全6回を終えての受講生のみなさまの感想>
本当にとても貴重ないい経験をさせていただいたと思っています。実は私は中学生のときからずっと日記を書いていたのですが、ひょんなことから突然やめてしまい、あまり文章を書かなくなってしまいました。この講座を受講して、いろいろ書いてみることの楽しさがよみがえってきて、とても新鮮な喜びを感じました。日記とは違いますが、また少しずつ書いて遊んでみたいと思います。書くことは人生体験にもいろいろ影響を与えてくれますね。ありがとうございました。毎回いろんなアドバイスがあって、とても目からウロコでした。
(匿名)
・楽しくてカラフルなイラストで教えてくれるので分かりやすかったです。
・宿題の添削が真っ赤になって返ってきて驚きました。こんなに丁寧に教えてもらえることはなかなかない経験だと思いました。
・気がつくとSNSやブログなどの日常的に書く文章も、人に伝わるように丁寧に描写して書くクセができていました。
・他の受講生の方の文章を読むのも面白かったです。
(新阜裕大さん)
目からうろこといったところが多々ありました。今まで文章を書くときは、ただ気の赴くまま漠然と書いていることが多かったのですが、6回の講座で「秘伝」ともいうべき道筋を示していただけたのは、本当に幸せなことだったと思います。それもイラスト入りで、料理方法にたとえて教えてくださったのは分かりやすくありがたかったです。
寒竹先生の感性の素晴らしさ、豊かな知性には心底敬意を表します。何よりも私が心を打たれたのは寒竹先生のお人柄です。これだけの才能をお持ちになっていられるのに、ちっとも高ぶったところがないのは驚きです。
私はちらしを見て参加させていただきましたが、今はあのちらしを「おちらし様」と呼んでいます。
(松居まなぶさん)
第6回だけを単発受講させていただきました。友達からのおすすめで参加させていただきたのですが、すごく分かりやすく、今回が初めてだったのにもかかわらず、みなさん優しくしてくださいました。
まだ宿題をやっていないので、文を書くことには「難しい」と感じてしまっているのですが、がんばって書いてみようという気持ちにさせてくれます。
今回1回だけの参加となってしまいましたが、機会があればまた次は単発だけでなく、すべて参加してみたいと思っております。
(江雨さん)
宿題は難しかったですが、講座はアットホームで楽しい時間を過ごさせていただきました。今までの自分の文章に足りなかったものが見えてきました。ここでの学びを生かして、これから文章と向き合っていきたいと思います。
(ニシムラさん)
文章講座を受けるまで、文章の書き方を意識したことがなく、自分の文が他人に押し付けるようなものになりがちであったことに気づかされました。自分のためではなく、渡される読者の視点から文章を見直すことが少しずつできるようになってきたと思います。
これからは大勢の読者の方に面白いと思ってもらえるような文章を書けるように、この講座で学んだことを反芻していきたいです。
(西村さん)
「わたし」を出した文章を書くことは今までほとんどなかったので、「なるほどこう書くのか」「こういうところに注目するのか」ということがよく分かりました。また、文章を書くということと、文章で自分を表現することは似て非なるものなのだということが分かったように思います。
今までブログなどで文章を書いてきましたが、これからは文章で自分を表現することも意識して書いてみようと思います。
(鶴原早恵子さん)
この講座はとてもユニークでした。文章講座と聞いて私がイメージしていたのは、たとえば5W1Hとか起承転結を書く技術を伝授するとか、そういうものだと思っていましたが、この講座はそういうとおりいっぺんのものとは一味違いました。まず書くとはどういうことか、と、一見抽象的なところから入り、それにもかかわらず、小説家を生業としている人特有の具体的な例が分かりやすく頭に入ってきました(ゆるゆるのイラストもご愛嬌)。また、添削が電光石火のごとく返ってくるのには感心しました。あまりに早くてちょっと恐怖も感じましたが(笑)
(藤本さとみさん)
今まで文章を書く要領が分からなかったけれど、ヒントを得ることができました。実践するのは難しいけれど、これからは教えてもらったことを基本として書いていきたいと思います。
(匿名さん)
面白かったです。とてもためになりました。「書く」ことについてこんなに考えたことはなかったです。そして視点も増えました。講座が終わったあとも効果がずっとあるような、そんな感じがします。教えてもらったことの1つでも2つでも意識的に使えれば文章は変わるなあと本当に実感しています。
(上井雅喜さん)
寒竹先生に出会った偶然や、スケジュールがちょうどぴったりだった幸運も重なり、参加することができて本当に嬉しく思っています。
エッセイを書いてみたいと思っていて、そのことをすっかり忘れていたのですが、この講座をきっかけにその思いを実現できるよう書いていこうと思っています。
文章というと、文系で情緒的な要素だけだと思っていたのですが、講座の内容はさくさくと分かりやすくロジカルで、頭の中が整理出来たように思います。お料理のたとえも具体的にイメージしやすいので理解しやすかったです。実際に校正してもらえるというのが何より身につきました。ひとりひとりの原稿に目を通して適切なアドバイスをいただき、ありがとうございました。
(渡邊美佐子さん)
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また機会があったらやりたいなあと思います…が、しばらくはしないかな…休憩かな…。こうやって誰かに文章を教えていたら、自分も書かなくちゃという気になる。書かなくては。
とりあえず、8月30・31日には大阪で2日間集中講義をやることは決まっています。あと8月1日に京都で小説に関するトークショーみたいなこともやります。12月14日には朗読ライブをやることも決定しました。ぴんときたら会いにきてください。
]]>「すてきな愛の夢」
著者:アンドレア・ヴィターリ
訳者:山下愛純
発行日:2014年6月16日
価格:1,800円+税
ISBN:978-4-903439983
発行:シーライトパブリッシング
この本の書評を書きました。タイトルは「がんばる女の子へ捧げるラブ・コメディ」です。いやあ、面白かった。白馬に乗った王子様は、待つんじゃなくて、罠を仕掛けて奪取するのですよ。
愉快でほっこりしてにこにこできる素敵な小説。夏に読むと元気になるかも。
書評はシーライトパブリッシングのページで読めます。
→こちらからどうぞ。
]]>全国で見れるかと思ったら関西版だけみたいです。ツイッターでお騒がせしました…。でもこんな大きなインタビュー記事初めてだから嬉しいな。母の日にちなんで母にまつわる話を少し。母への感謝を語る機会がなかったので、こんなふうに記事にしてもらえてよかったです。記事の中に出てくる母と娘の物語「土のうつわ」という作品はウェブで無料公開しています。ここからどうぞ。陶芸家の娘と料理研究家の母。小説に出てくる母も娘も、実際のわたしや母とはまったく違う。でもこんなふうに自分とはまったく違う主人公と自分の母とはまったく違うタイプの母を設定したからこそ、書けた話なのかもしれない。
]]>2014年4月20日(日)読売新聞 朝刊 日曜版の1面に梶井基次郎と一緒に登場しました。
昔書いたエッセイがこんなふうに日の目を見て嬉しい。作家になりたくて、なれなくて、何者でもない自分に鬱々としていた時期のエッセイ。このときにしか書けなかった文章だと思う。書いていてよかった。文章を書くというのは未来の自分へのプレゼントだと思う。記事で触れられているエッセイはウェブでも読めます。
]]>昨日は「三島由紀夫を読む会&超短編を楽しむ会」でした。
先輩作家の森山東さんのリードとフォローのもと、心ゆくまで楽しみました。ああ、小説の話をするのって楽しい!!三島はやっぱり天才だ…。三島のすごさは自分が書くようになるとよく分かる。簡潔で的確で詩的な描写。この三つが同時にそろうってすごい。その文のうまさの秘密が圧倒的な語彙力と論理を組み立てる力にある、と聞いて、なるほどなあ…と開眼した思いでした。そうなんです、語彙力ってやっぱり必要なんです。類語辞典見ながらあわあわしてる場合じゃないんです。そして、文章のよさを決めるのは「品」である。それには古典を読むしかない。というのもよかったな。そうだなあ。本当に。昔の文豪の文章は「職人の手仕事」って感じがする。今は既製品を買ってきて組み合わせました、みたいな文章がいっぱいある。
たくさんの言葉の中から的確なものをすいすい選んで、時にははっとするような組み合わせを作って遊んでみたり。そんなレベルの高い言葉使いになりたい!と思いました。しかし、課題図書の「スタア」は本当に面白かった。映画俳優が主人公のなかなかシニカルなストーリー。面白すぎてストーリーばっかりに目がいってたので、森山さんの文章の分析で、はっとさせられどうしでした。まるで面白い映画を一本見たような時間。本当に面白い評論ってのは、わくわくするエンターテイメントでもあるんだなと思った。謎解きというか宝探しというか。世界が開けていく感じ、解像度が深まっていく感じが面白かった。他の人の感想も面白かった。読書会というものを初めて参加したのだけど、これも小説の面白さを伝えるひとつの方法だなと思った。作品の選び方と参加メンバーにかかっているかもしれない。誰か一人でもその作品について深く読んでる人がいれば、遠くまでいける。
「スタア」はこの短編集に収録されています。
第二部の超短編を楽しむ会では、名前を記さずプリントしてきた500字原稿をみんなに配り、その中でそれぞれ順位をつけてもらい、多数決で一番面白い作品を決めました。意外な人が作者だったりしてそれが面白かったです。いろんな物語があった。500字だと読むのも早いし、全員分朗読してもそれほど時間はかからない。そういう意味で合評向けかも。そして、一位いただきました。びっくり。500字って文字数、初めて書いたけどなかなか面白いです。カフェ・月と六ペンスで売っている葉書小説十六夜サンドイッチ小説が600字くらいで、これは名刺サイズにも納まる文字数として作ったのだけど、500字だったらもっといろいろできそうですね。
次回もまたできたらなあと思ってますので、よろしくお願いします。
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【超短編(500文字小説)】殻
庭にカタツムリがいる、と妻の嬉しそうな声が聞こえてきた。
「すごく大きいの。ねえ、見に来てよ」
すごく大きいなら、なおさら行くものか。気持ちが悪い。俺は新聞を顔の前に広げ、妻の声を無視し続ける。
「本当に大きいのよ。なんだかこの殻に住めちゃいそうなくらい」
バカバカしさを通りこして、俺は腹が立ってくる。
「じゃあ、住んだら?」
それっきり妻の声は聞こえなくなった。新聞をそっと下ろしてみると、妻はキッチンで夕飯を作りはじめていた。
その日の夕食はカタツムリだった。焼きカタツムリ。カタツムリの煮物。カタツムリのバター炒め。弾力も色もエリンギに似ている。これはエリンギだと自分に言い聞かせながら咀嚼する。
「まだまだあるわよ。オイル漬けにしたから当分食べられるわ」
「殻はどうしたんだ」
と、俺はきいた。
「ほら、これよ。似合う?」
巨大なカタツムリの殻を背負って微笑む妻を見つめる。俺はきっと試されている。ここで答え方を間違うときっと大変なことが起こってしまうのだ。
「愛してるよ」
と、俺は言ってみた。
「そんなことはきいてないわ」
妻はつまらなさそうにため息をつくと、足からするすると殻の中に入っていった。
〈了〉
]]>毎月10日に更新されます。月1回1年間連載します。実は書評の連載は初めてだったりします。新しいチャレンジにわくわくします。まあ書評というよりは、本エッセイというスタンスですが。他ジャンルをまたいでいろいろな本を紹介しますので、1年間よろしくお願いします。
1月の本は「ママのスカート」。木村カエラさんが訳したキュートでビターな愛情あふれる絵本。
1月号はこちらから読めます。
2月の本はこれ。
こちらからどうぞ。
掲載媒体はかつて建築小説「ハウスソムリエ」の連載でお世話になった学芸カフェです。建築スタジオOJMMが企画・運営、京都の建築系出版社学芸出版のコンテンツとして掲載されている月刊ウェブマガジン。わたしは久しぶりの登場ですが、立誠シアターの「三夜叉」公演でお世話になった野村雅夫さんは毎年不動のレギュラーで映画コラムを描いているし、去年は三夜叉のイラストをお願いしたミホシさんも耽美イラストを連載していました。
人のつながりは面白いです。仕事をするって誰かとつながることなんだなと思う。もちろん仕事をしなくてもつながれるけど、仕事を通したつながりは射程距離が長いというか、そして深いというか。わたしが持っていないものを持ってる人とつながることができる。
来年の今頃は誰とどんなことをしてるのかな。それを楽しみに、がんばろうと思います。
]]>自分を励ますべく、今年も書いたものの総括します。枚数は原稿用紙換算枚数です。単行本1冊が300枚くらいかな。
■スマホアプリ「謎解きおひなさん京都編」京都とおひなさんの物語4作品→Kindleで発売中です。4作品全部読めます。
・「誕生日プレゼント」(5枚)
・「人形師からの伝言」(5枚)
・「姫の家出」(5枚)
・「おひなさんと縁切り大明神」(5枚)
■FB連載小説「エンジェルホリデー」家族旅行の物語
・7月(台湾)
・8月(ハワイ。4月の続編)
・9月(ロンドン)
・10月(日本)
・11月(パリ)
・12月(カナダ)※まだ連載中。12/31に完結。1月以降も連載は続きます。
(約40枚×9+動画5枚×3=375枚)
■JREC会報誌Holosに連載「ちょうどよいふたり」29才の果穂と19才の幸彦の青春小説。
・第1話「ぜんざいと風花」
・第2話「唐揚げと人生」
・第3話「お弁当とリフレクソロジー」
・第4話「ハーブティーと告白」(2014年1月末ごろ公開予定)
(各6枚×4=24枚)
■iPhoneアプリ「秘密の本棚」ラブロマンス
※アプリでも電子書籍でも買えます。
・「身代わりの恋人」(50枚)
・「愛しのドール」(100枚)
→パピレス、honto、ブレーンライブラリー…etc
■展示「殻を脱ぐ」用物語(2枚)
■朗読劇脚本「三夜叉〜金色夜叉より〜」(38枚)
■長岡商店街パンフレット掲載掌編「アゼリア通りのピエロ」(4枚)
ここからも読めます。
■田中ましろ歌集「かたすみさがし」ウェブコンテンツ用掌編
「十センチ」(10枚)※歌集を購入すると読めます。詳細こちら。
■書肆清貧の書イベント用葉書小説
「旅人のカフェ」(1枚)※南阿蘇珈琲や書肆清貧の書のイベント時に購入できます。
■季刊誌「高瀬舟」連載エッセイ「浅い川も深く渡れ。」
(各3枚×4=12枚)
■理系女子の京大博物館探検記 ミュゼップサロンエッセイ
・「石棺の眠り」(掲載待ち)
(各5枚×4=20枚)
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…ああ、あちこち散らばって大変だった…さすがに疲れました…。合計枚数は656枚でした。去年のわたしよりもがんばったと思う。おつかれ、わたし!
]]>時は明治30年。日清戦争後の好景気に沸き立つ日本。
許嫁の宮を金持ちの男にさらわれた貫一は怒りと絶望の末、
血も涙もない高利貸しに身を落としたのだが…。
原作の魅力をそのままに現代の小説家が新たな命を吹き込みました。
110年前の人たちが熱狂したエンターテイメントをぜひライブで体感してください。
原作 尾崎紅葉
脚本 寒竹泉美
出演
樹リューリ(フリーナレーター)
柳元麻見(Jプロダクション所属ナレーター)
寒竹泉美(小説家)
日時 2013年12月15日(日)
第1回 16:00-17:00(15:30開場)
第2回 19:00-20:00(18:30開場)
場所 ムーランキッチン
阪急中津駅から徒歩5分 / 地下鉄中津駅より徒歩10分
チケット代:1500円
ご予約方法
izumi.kanchiku★sakkanotamago.com (★→@)
担当:寒竹
タイトル「三夜叉予約」で、
上記のメールアドレスにご連絡ください。
当日払いで、席の選択は当日の先着順になります。
・代表者のお名前
・人数
・何時からの回を希望するか
※予約メールは2日以内に返信します。返信ない場合はお手数ですが、もう一度ご連絡ください!
※ご質問などもお気軽にお問い合わせください。
]]>小さな包みを胸に抱き、男は、どんな香りでも作り出すという調香師の住む家の門をくぐった。彼はこのために北の町からはるばるやってきた。七十年間の人生で初めて飛行機にも乗った。
広い庭には、さまざまな植物が茂っていた。種類の違う木々が一本ずつ並び、幹から樹液のようなものを採取する容器が結びつけてある。風が涼しげな甘い匂いを運んできた。顔を上げてあたりを見渡した彼はすぐに、大量のバラが咲き誇っているのを見つけた。風に香りがあるということを久しぶりに思い出し、ずいぶん遠くまで来たと今更のように思った。
調香師は彼をあたたかく迎え、無数の小瓶が壁一面に並ぶ部屋に案内した。
彼は座るなり包みを解いた。中から色褪せた赤い布が現れた。
「これは、亡くなった妻が着ていた服です。先日、部屋の整理をしていたら偶然出てきました。彼女がつけていた香水の香りがまだ残っています。でも、香りはやがて消えてしまうでしょう。その前に、この香りと同じ香水を手に入れたいのです。妻がつけていた香水が何という名前だったのか、今でも存在しているのか、私には全くわかりません。でも、あなたなら分かるはずです」
調香師は、服を受け取った。目をつむり、まるで祈りをささげるかのように顔を近づけ、長い時間そうしていたが、
「残念ながら、この服にはもう、あなたが言うような香りは残っていません」
と、静かに言った。
「そんなはずはない。今、まさにこうやって香っているのに」
ひったくるようにして服を奪い、顔を押し付け、彼は安堵する。長旅のせいで香りが消えたわけではなかった。男の胸の中で、妻のまなざしや笑い声、あたたかな体温がよみがえる。こんなにもはっきりと香っているのに、彼はそれがどんな香りなのかを言葉で表すことができない。もどかしさに、歯噛みをする。
「もう一度、ちゃんと確かめてくれ」
「何度確かめても同じです。わたしにはその匂いを嗅ぐことはできません」
きっぱりとした調香師の言葉に、彼は絶望して言葉を失った。
「でも、わたしが嗅ぐ必要はありません。なぜなら、その香りはあなたが死ぬまで消えることはないからです」
調香師は微笑む。
「その香りは、服からではなく、あなたの記憶から香っているのです」
<了>
]]>魔法使いと出会ったのは職安の隅にある喫煙室だった。
タバコをくわえたあとに、ライターを忘れたことに気がついた僕は、煙をむさぼっているガス室の中の面子を見渡した。どいつも職探しがうまくいってないのか、目が血走っていて、声をかける雰囲気ではない。ふと隣を見たら、ひょろりとした若い男が、静かにタバコを吸っていた。
「悪いけど、火を貸してくれないか」
若い男は、人差し指を突き出した。何の冗談かと思っていたら、僕のタバコにはもう火がついていた。
「ありがとう」
と、僕は礼を言った。
「このくらい、おやすいごようさ」
と、魔法使いは言った。
「だけど、こんなもの職探しには何の役にもたちやしない」
魔法使いは、かわいそうなくらいしょげていた。口から吐き出す煙まで力なく足元に落ちていく。
「でも、君、魔法使いなんだろ? 何のとりえもない僕よりましだよ」
魔法使いは悲しそうに首を振った。
「空が飛べると言ったら、夜中に出発して朝までに大量の荷物をこの島の南端まで届けろ、それができないならうちはいらない、って言われるし、火や雷をおこせても、火炎放射器や巨大な機械の前では役立たずだ。それどころか、危険人物扱いで、門前払いされる始末。見世物になるってのも考えたけど、いまどき魔法なんて、子供だって見向きもしない」
「せっかくの才能がもったいない」
と、僕は自分の職がないのを忘れて、心底彼を気の毒に思った。
「どこかに君の能力が生かせる場所はないだろうか。機械や最新技術の出番がない、人の力で勝負するしかないような場所があればいいんだけど」
僕と魔法使いは黙って考えこんだ。僕がタバコをくわえるたびに、彼が指で火をつけてくれた。しかし、3本吸い終わっても、よいアイデアは出てこなかった。
「思いついたら教えてくれ、俺も君に合いそうな仕事があったら連絡するから」
と、魔法使いは言って、僕たちは連絡先を交換して別れた。
1ヵ月後、魔法使いから連絡が来た。
「君のヒントのおかげで職にありつけたよ。君が、まだ探しているなら、何でも好きな仕事を用意してやるよ?」
魔法使いの口調は自信に満ち溢れていた。そして、ずいぶん気前がいい。この一ヶ月で何があったのだろう。
「いったい君は今、何をやってるんだ?」
僕の質問に、
「女社長の愛人」
と、魔法使いは答えた。
<了>
(初出:ザ・インタビューズ)
]]>白く塗られた小さな扉には、クローズドの札が掛かっていて、「しばらく休みます」と書いた張り紙が貼ってあった。電車を三回乗り継いでここまでやってきた彼女は、それを見てもさほど落胆しなかった。張り紙の隅に書かれた日付を見る。休みになってから十日が過ぎていた。そろそろ生まれるのかしら、と、つぶやくと、くるりとカフェに背を向けた。
その夜、彼女の元にカフェの店主から電話がかかってきた。
「三日後の夜に」
分かった、と答えて彼女は電話を切る。それから、二人の友人に電話をした。一人は画家で、もう一人は女優だった。ちなみに彼女は小説家だ。電話が終わると、デスクの目の前の壁に貼ってあるカレンダーの三日後の日付に大きくマルをつけた。そして、ずいぶん長い間書きあぐねている新作の下書きを脇によけると、久しぶりに本を取り出し、のんびりと読み始めた。
三日後、郊外の白い扉のカフェのテーブルに三人が集まった。地方で公演中だったはずの女優も、ちゃんと時間どおりに出席していた。
「このためなら、どんなことしてでも駆けつけるわよ」
白いドーランと黒々とした目の舞台メイクのまま、女優は、にやりと笑った。
「ああ、楽しみ。今日はどんな料理が食べられるのかしら」
普段は悪食で、毎日同じメニューばかり食べている画家が甘ったるい声を漏らす。奥の厨房からは何かが焼ける小気味いい音が聞こえてくる。
「それにしても、あの子、この才能を世間に発表したいとか思わないのかしら。本当に、もったいない」
女優が大げさに溜息をついた。その件については他の二人も同意見だった。こんな小さなカフェの店主が、見たこともない絶品の料理を生み出す天才だなんて、誰が信じるだろう。だけど、仕方がないのだ。彼女は、いつも三人分しか作らないし、同じものは二度と作りたくないのだから。
いい匂いがただよってきて、空気がさっと塗り代わった。気がつけば、店主が手に白い皿を持って立っていた。三人は歓声をあげて拍手で迎える。室内に、驚きの声と、笑顔と、ナイフとフォークの触れ合う音とが満ちていく。
「こんなに素晴らしいものを、わたしたちだけで楽しむなんて、本当に贅沢だわ。もったいないって、今話してたのよ」
女優の彼女が言った。カウンターの中に座ってワインを傾けていた店主は、それを聞いて、豪快に笑った。
「いいじゃない、贅沢をすれば。あなたたちって、こんな贅沢に慣れてないのよね。そういうの、貧乏性って言うのよ」
三人は顔を見合わせる。確かに、少しでも多くの人に知られなくちゃと、がつがつしている自分たちは、才能の貧乏性といえるかもしれない。
幸福な時間はあっという間に過ぎていったが、小説家はいつまでも料理の余韻に浸っていた。体中の冷たく澱んだものが洗い流され、代わりに、とくとくと力が満ちていく。突然、彼女の頭の中で、一人の人物がくっきりとした輪郭を持って現れ、生き生きと喋りはじめた。ああ、これで書ける。小説家は沸きあがってくる興奮を鎮めるために目を閉じた。そのせいで、テーブルに沈黙が訪れたが、気にする人は誰もいなかった。画家は見え始めた光景を追いかけるために、コーヒーの黒い面を眺めていたし、女優は演じている役の新しい面を発見し、夢中になってセリフを口の中で言い直していた。
「生まれる」
店主は三人を眺め、満足そうにつぶやいたが、その言葉は、集中している三人の耳には届かなかった。
(初出:Birth)
]]>鴨川の五条より南のしだれ桜が咲いていました。
]]>http://www.sakkanotamago.com/roudoku.html
(16分のmp3ファイルです)
]]>イタリアの映画監督であり小説家であるシルヴァーノ・アゴスティの小説を、毎週連載していくという企画。去年学芸カフェでご一緒した野村雅夫さん率いる大阪ドーナッツクラブのメンバー10名が毎週訳して連載していくのだそうで。
わたしはこの本を読んでアゴスティ面白い!と思ったので、連載を毎回楽しみにしております。
シルヴァーノ・アゴスティの小説は独特な味わいです。不思議で不条理であっけらかんと軽い感じもありつつも、ずどんと重いものが貫いているというか。日本のものとも英米のものとも違う感じ。これが彼独特のものなのか、イタリア的なものなのか。
イタリア文学といえば、アントニオ・タブッキ。ざっくり言ってしまえば、タブッキ好きな人はたぶん好き。無料で読める掌編なので好きかどうかは、自分の目でどうぞ。掌編が気に入ったら「罪のスガタ」もおすすめ。
翻訳連載:九十二の短い長編小説
(シーライトパブリッシング)
ちなみに野村雅夫さんはFM802のDJなのですが、ラジオ番組 NIGHT RAMBLER MONDAY(毎週月曜日25-28時) も超お薦めです。素敵にちょうどいい曲をかけてくれます。関西の人はぜひ。深夜のおともに。
]]>年末年始のブックファーストでの展示で写真を使わせてもらったkyarry+さんの個展が3/1から大阪であります。切ない光をとじこめた写真をたっぷりと。ぜひ。ライブもあるよ。ライブ、わたしも行く予定。詳細こちら。
]]>「 2 water stories 」kyarry+ photo exhibition @喫茶星霜
2011.3.1 tue−3.13 sun (3.7 monはお休み)
OPEN 13:00〜19:00(3.12 satは18:00まで)
喫茶 星霜
大阪市北区天満4-1-2天満佐藤ビル1F
tel/fax: 06-6354-3518
伝説のラーメンが岩倉にあると聞いて、俺は叡山電車に乗ってやってきた。
手がかりは一枚の地図と、岩倉という字だけだ。なんだか山の中に赤い点が表示されていて、そこに岩倉と書いてあるのだ。
大体伝説という言葉からしてうさんくさい。伝説のラーメン? ラーメン伝説?
てか、お前さ、なんだよ伝説って、俺が聞くと、伝説は伝説だよ。誰もたどり着けないから伝説なんだ、と、友人Mは言った。地図を手に入れただけでも超貴重なんだから。俺、ちょっと探したけどよくわからなかったから、 お前行ってきてよ、と地図を託された。
で、そのラーメンはおいしいのか、と俺が聞くと、そりゃ伝説だからな、とMが断言したので、俺は伝説のラーメンを探しにここまでやってきたわけだ。
しかし、近くまで来ても何の手がかりもない。通りすがりの住民に聞いても、首をひねられてさあと言われるし、どころか、不審者あつかいだ。
求めれば得られんとかMは言った。てか、でもさ、そもそもお前さ、求めたけど見つからなかったんだろう。言ってること矛盾してないか? よく考えたら、Mは、伝説だからなとは言ったけれど、おいしいとはひとことも言わなかったじゃないか。
だまされた、と俺は思った。Mに電話しようと思ったら圏外だった。メールが一件、Mからだった。見つかったら連れてってね、だった。他力本願すぎる。
随分長い間歩いている。だんだん本格的にさみしくなってきた。人ひとり見当たらない。田んぼばかりだと思ってあるいていたのに、いつのまにか山の中に入っていた。強い風が吹いてきた。目にゴミが入る。何だか本当にこんなところにラーメン屋があるのか、というかそもそも、俺はここまでしてラーメンが食べたいのか。何のために山の中を歩いているのか分からなくなってきた。
足元はぬかるんでいるし、汗は出るし、やぶ蚊は飛んでいるし、こんな状態でラーメンを食べてもおいしいわけがない。
ばかばかしい、もう帰ろう、と思った瞬間、ごうっと強い風が吹いた。熱風だった。ぱちぱちと音が聞こえて、あたりは火に包まれていた。山火事だった。とんでもない。かちかち山かよ。俺は、避難できる場所を探して、あたりを見回した。風が強いからあっという間に火に包まれてしまう。
そのとき、山肌に岩と岩の隙間をみつけた。人がひとり通れそうな隙間だった。覗くと中が空洞になっていた。その中なら火を逃れられるかもしれない。その中にオレは体を横に曲げながら、滑り込ませた。
中はひんやりとして涼しかった。外は火でごうごうと燃えていた。火の明るさで中の様子が見えた。何だか、大きな袋がつみあがっていて、倉庫のようだった。何でこんなところに倉庫があるんだろう。一体何が入っているのだろう。俺は、袋をやぶって取り出してみた。
レトルトの袋ラーメンだった。
てか、岩の倉庫に袋ラーメン。
岩の倉? 岩倉。
俺は作者の強引なオチにためいきをついた。岩倉のラーメン? よし、それは許そう。
で、どこが伝説なんだ。俺は袋ラーメンを裏返した。不燃性と書いてあった。
※業界初!なんと、このラーメンは燃えません!非常食にぴったりです。
俺は、倉中に積みあがった袋を見上げると、片端からそれを岩の外に投げ出した。燃えないラーメンは灰になることなく、炎の中でいつまでもビニール袋をてかてかと輝かせていた。
<了>
(初出:第1回N-1グランプリ/お題「灰」「ラーメン」「岩倉」)
]]>その小さな公園は誰にでも開かれていた。夜明けとともに小さなスズメたちが飛んできて木々を占領し甲高い声でさえずった。朝は若いジャージ姿の男性がランニングを始めるための準備運動をした。やがて小さな子供たちをつれて遊びに来る母親たちの話し声でにぎやかになり、昼になるとお弁当を持ったスーツ姿の女や男がどこからともなくやってきた。
公園の緑はいつも丁寧に手入れされ、芝生の上にはタバコの吸殻ひとつ落ちていなかった。トイレも気持ちよく磨かれていた。ひとりの老いた清掃夫がいつもきれいにしているのだ。彼は、みんなから、公園おじさんと呼ばれて親しまれていた。
公園の真ん中には背の高い時計があった。何の変哲もない時計だったが、公園に訪れた人たちはよくそれを見上げた。居心地のいい場所だから、時計を気にしていないと、ついつい長く居すぎるのだ。
時計が止まっていることに最初に気がついたのは、ひとりの若い事務員だった。公園でお弁当を食べて、まだまだ昼休みの時間はたっぷり残っていると思ってのんびりと会社に戻ったら既に会議が始まっていて、上司にどやされた。
夕方に来た小学生たちは、時計をひとめ見るなり今日は使い物にならないことを判断した。時計は0時半を指したままだった。
公園おじさんの死体を最初に発見したのは朝一番に訪れたジャージの男だった。あっという間に公園は赤いランプの車に取り囲まれ、ものものしいロープが貼りめぐらされた。黒い制服の男たちが、靴を鳴らしながら歩きまわった。
調べるまでもなかった。時計の横に高い脚立が置いてあった。警察官は自分の腕時計を見て、それから公園の時計を見上げた。どちらもちょうど6時を指していた。昨日は0時半で時計が止まっていたという近所の人の証言があてになるとしたら、公園おじさんは、時計の電池を交換して時計の針を直したあと、誤って落下したのだ。
公園を愛していた人たちが集まって、時計に花をたむけて悲しんだ。
あんな危険なことまで彼にやらせるなんてひどいじゃないか、と誰かが涙ながらに言った。その場の誰もがそうだと声を挙げた。公園おじさんは、おじさんと呼ばれていたけれども、もうかなりの老人で、高い場所にある時計の電池を変えるなんて無茶な仕事だった。彼を雇っていた公園の管理者に抗議しましょうよ、と若い母親たちが声を挙げた。
「やつを雇っていた人間なんて存在しない」
公園おじさんと同じくらい老いた男が、ぼそりと言った。
「やつが全財産を投げ打って公園を作ったときは、馬鹿なことをするなと俺も思ったさ、 と、でも、自分が手入れした公園にいろんな人が集まってくつろいでいるのを見るのが何よりの楽しみだったみたいだな。あいつは、公園と結婚したようなもんだ」
<了>
]]>「じゃあ、ここでチャトラのためにお祭りをしよう」
と、順君は静かに言った。
「チャトラが死んだのに、お祭りなんて気分じゃない」
あたしはしゃくりあげながら、順君をにらんだ。
「順君は、チャトラが死んで嬉しいの?」
「悲しいよ。だからお祭りをするんじゃないか」
と、順君は言った。
ずっと一緒に暮らしていたトラネコのチャトラがいなくなったのは、昨日の夜だった。ご飯の時間になっても帰ってこなかったし、朝になっても皿の中のご飯は減ってなかった。チャトラが遠出して3日くらい帰ってこないことは、よくあることだったけれど、あたしは何だかそのとき妙に胸騒ぎがして、家の周りを必死で探した。順君も呼び出して、チャトラの名前を呼んで、町中を一緒に探した。
チャトラはどこにでもいる雑種の猫だから、別の猫と何度も間違えそうになった。でも、順君がそのたびに、あれはチャトラじゃないよ、と言ってくれた。本当にそうだった。順君が止めてくれなかったら、知らない猫を抱えて帰るくらい、あたしは混乱していた。
家の軒下で固くなっているチャトラを見つけたのは、順君だった。順君は、固く冷たくなっているチャトラをタオルでくるむと抱え上げた。
あたしたちは無言のまま、近くの山に入って、木洩れ日の当たる柔らかな土の場所にチャトラを埋めた。いつも熱心に整えていた毛皮が泥で汚れているのを見ると、あたしはついに泣いてしまった。土をかけるのも順君が1人でやった。丁寧に、ひとすくいずつ、土がかぶさってチャトラが見えなくなるのを、あたしは泣きながら見守った。
「お祭りは、楽しく騒ぐときだけじゃなくて、死んだ人の魂をとむらうためにもするんだって、おじいちゃんが言ってた」
とむらう、という聞きなれない言葉が、あたしの胸の中にやさしくしみこんだ。
「だから、チャトラのために僕たちがここでお祭りをしよう」
あたしは順君の手をにぎって、しずかにゆっくりとうなずいた。
それから二人で手分けして、きれいな石と木の実をあつめた。花をつんできてお供えした。歌をうたおう、とあたしが言って、学校で習った歌をうたった。チャトラが静かに天国に行けますようにと思って一生懸命に歌った。なんだかお祭りっぽくない歌だったけれど、順君は何も言わなかった。
夕日が目をつきさした。見上げると、真っ赤な紅葉があたしたちを包んでいた。まるで火の中につつまれているようだと、あたしは思った。
<了>
]]>
一眼持って近寄ったら逃げるけど、iPhoneだったら、なになに?って近寄ってきた。なるほど、そういう使い道もある。ちなみに、牛柄だけどモーちゃんではありません。モーもこのくらいスマートになればいいのに…。
]]>京都嵐山の法輪寺。これで携帯電話の中にもいつでも菩薩様が…。まあ、携帯はいつも身につけてるから、お守り入れるのに最適といえば最適…? いろいろあるなあ。
]]>世界遺産の高山寺の周囲を取り囲む森。夏でも涼しかった。
]]>京都駅が最寄り駅になって、よくJRを利用する。走る距離が長いからか何なのか、JRはよく遅れる。天候や信号機の点検、踏切の安全確認、etc..
でも、月に一度は人身事故のためというフレーズを聴く気がする。
この曖昧なフレーズは、わたしの思考を停止させる。
電車が遅れたら遅刻するわけで、アナウンスを聞いたら、くそー!迷惑な!って思う。思ってしまう。でもそれが、もし、子供が偶然線路に入って電車にひかれた人身事故だったら、自分の予定が間に合わないことよりも、その子供に思いを馳せていたい。苦悩の末、飛び込んだ自殺者のせいだったら、電車を選ばなくても…と思いながらも、やっぱりそのせっぱ詰まった心境と人生に思いを馳せていたい。何の関係もない人の死が電車というものによってわたしの人生に触れてかすめさったことを、遅刻するから迷惑だ、の一言で片づけたくない。そんなの生き物として不健全だ。
でも、誰も別に死んでなかったり、いたずらで石置いただけとかだったら、思う存分、ちきしょー!迷惑なやつだ!と文句言いたい。
煮え切らない人身事故という言葉に、行き場のない思いが生まれ、それを飲み込む。こんなことを続けていくと、不感症になってしまいそう。
「30代と見られるスーツを着た男性が飛び込み自殺をし、その遺体の片づけのために、電車が一時間遅れています」
そんなアナウンスが駅に流れる。止まった電車に閉じこめられた乗客たちの耳に届く。それじゃダメなんだろうか。
たぶん、世界が変わる。
死はニュースの中にあるんじゃないくて、今生きてる世界の、すぐそばにいつもある。そういう世界で生きていることを思い出す。いやな気持ちになってもいい。悲しんでもいい。聞かなきゃ良かったと思ってもいい。迷惑だから死ぬな、と文句を言ってもいいかもしれない。俺らの時間を返せ、と生きてる人は怒ったらいい。もし車内に飛び込み自殺しようとしてる人がいたら、きっと、その様子にいたたまれなくなって、思いとどまるかもしれない。
などと思いながら、帰りは阪急で帰ります。
]]>普段は移動するたびに、起き上がってついてきて、近くの場所でごろんとするくせに、集中して寝たいときはどこかに隠れて寝ています。あれ? いない? とか思ったらこんなとこに。
]]>茶豆という種類。甘くておいしかったです。
]]>花屋さんで200円で苗を売ってた。バジル大好き。増やすぞ。育てるぞ。ジェノベーゼ作るぞ。
]]>元気でキュートなカメラマンです。彼女は今日お誕生日♪ ウクレレ持ってる二次元のがわたしです。
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個展という大義名分があるので、本当はもっといっぱい買った。使うか分からないけど。ようやく、本当に本当にやばいんじゃないか、と思い始めました。やばいよ!時間がないよ!
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