話すということ
- 1970.01.01 Thursday
- 08:59
最近読んだこの本の中に話すということは相手がいて初めて成り立つんだという話題があった。
- 作者: 佐伯胖
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2004/07/08
- メディア: 単行本
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こちらがあらかじめ用意したセリフを一方的に言って、相手からの反応を受け付けない、シナリオどおりのやりとりではなく、ちゃんと相手からの反応を受け止める用意をしているのが本当の「話すこと」だという内容。その中のこの一節を思わずメモしてしまった。
話しながら心の中でつねに銘記すべきことは、「私はいつでも考えを変える用意があります。どんな小さな手がかりでも示してください。私の思いちがい、考えちがい、ひとりよがり、勝手な想定は、いつでも、どんなことでも、そっくり考え直してもいいのですよ」ということである。
――「わかり方」の探究 思索と行動の原点 / 佐伯 胖 より
ブログで発信するたびに、わたしは自分の「思いちがい、考えちがい、ひとりよがり、勝手な想定」に気づかされる。自分の書いた文章のせいで誰かを傷つけたり不快にさせたことも何度もあって、自己嫌悪して、もう公の場で何も言わないほうがいいんじゃないかとさえ思った。でも、やめるなと自分に言い続けている。そんなふうにショックを受けないと、自分の歪んだ考えに気づかないから。これからも、まだまだ、わたしは「失言」し続けるんだろうけれど。
失言したから石投げて引きずりおろすのってとても不毛だな、と思う。怒ってる人たちは、その怒りをぶつけて、申し訳ありません、じゃあ撤回します、責任取ってやめます、で、いいんだろうか。本当に望んでいるのは、相手に理解してもらうことなんじゃないだろうか。相手に失言であることを分かってもらって、そこから話が始まるのだと思う。失言すると糾弾される。糾弾された側はおびえて逃げて、関係が断絶する。失言を恐れて安全な発言ばかりする。安全で魂のないシナリオどおりの一方的な言葉のやりとり。
そんなことを考えていたから、引用した言葉がすっと入ってきた。
ところで、先日、ポッドキャスト番組「魁!オレ論塾」に出演しました。打ち合わせなし、編集なし、ってのは京都SWITCH的TVと同じですが、聞き手が違えば出てくる話題も違ってくるというか。普段はあまりブログに書いたりラジオでしゃべったりしない話をしました。聞きなおしてみても、うまく言えなかった話がたくさんあるし、自分でも未熟だなって思うことがいっぱいあった。話すことって本当に難しいです。その難しさを自覚しながら、私はいつでも考えを変える用意があります、と胸の中でとなえていたい。
わたしの発言で不快な思いをされたりしましたら、どうぞ指摘してください。
こちらからどうぞ(11月1日更新分)。
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- comments(3)
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聞きにくかったのは、慣れ不足と修学旅行生のせいだったかもしれません(笑)
たまラジは、猫の声は聞こえたことはないですが
音質の改善を希望です(笑)
興味深い、中身のある話はためになりました。
ですが、1つだけ気になること/お願いがあります。
録音が屋外のようですが、できれば室内(無音)でして欲しかった。
他の回は違うのかもしれませんが、
とにかく聴きにくい!特に前半は!
映像があればまた印象が違うのでしょうけど、
音声のみなのでちょっと気が散りました。
・・・と、そんなリスナーもいましたとお伝え願えればと。
(こちらに書く事ではない?)